あるたま草

毒にも薬にもなりません。のんきな毎日のひとりごと。

たまお天国へ

たまお

たまおが死んでしまいました。まだ気持ちの整理はつきません。画像は今年1月9日に撮った最後の画像です。

今朝は8時に目覚ましかけてたんですが、その5分前に実家の母からメールが。んもー朝からなんやねん、と思いながら見ると「えり、タマオ死んでしまった。」の文章が。

えっ・・・?寝ぼけてた頭が急に動きだします。メール不得意な母がこんな内容を冗談や嘘で送るはずがないし、これは事実だと悟ります。とりあえず私は「なんで?」とメール返信します。元気だったし、事故かと。しかし母の返信は時間がかかるであろうし、待ちきれず起き上がって電話しました。

聞いたのは、母が起きたらたまおがコタツの側で死んで硬くなってたこと、昨日まで普通にモリモリご飯食べてたこと、急に冷え込んだから心不全かと思われること。たまおは夜中も外に出る猫でした。

状況を聞いて確かに心不全らしいと納得。しかし急です。話を聞いてるうちから泣いてしまいました。もうたまおはこの世にいない。実家に帰っても会えない、触れない。世界で一番大好きな猫でした。たまおの為なら何でもしてあげたいと思っていました。結婚して実家を出ても、たまおに会いたくて週1回は荷物取りに行くとか言って実家に帰っていました。そのたまおが死んだとは。実感もわきません。

すぐに実家に帰り、対面。確かに動かないし、硬いし、体温もない。手足も伸びて、どう見ても普段見慣れた寝姿とは違います。顔や模様はたまおですが、なんだか全て納得しました。逝ってしまったなと。顔を少し撫でて段ボール箱に納め、両親と斎場に連れて行きました。骨は返してくれないらしく、斎場に預けてお別れです。また泣けます。12年、家の風景となっていた猫がもういない。これは寂しい事です。

悲しいけども、仕方ないこと。いっぱい可愛がったから世話に関して後悔はないですが、私がいなくなって寂しかったんじゃないかと思ったり。色々考えると悲しいです。だからもう考えません。

人間もいつ何があるかわかりませんから、普段から人間関係において後悔ないようにしないと、とか思いました。身近な例だと親も年だし、孝行せねばいかんなぁとか。

たまおが家に来てくれて12年。その間色々な笑いや心配、温もりや癒し、ポーズ(画像)を提供してくれました。まだ寂しさもありますが、感謝です。忘れず供養していきます。夜は放浪する猫だったので、その辺の道路ではねられて野垂れ死にするのを心配してましたが、家に最期は帰ってきてくれました。それも家族皆が休みの日に。いい子でした。皆で見送れて良かったです。

たまお、バイバイ。安らかに。

ほんとに私達にとっては可愛い、可愛い猫でした。

たまおとチコ